はじめまして、さおりです。
ここでは私の自己紹介をさせていただきます。
私は35歳の時に
オンライン起業に出会い、
3ヶ月で月収170万円になりました。
おかげで月1で飛行機に乗り
実家へかえり親孝行したり、
朝めざましのいらない生活になり
満員電車とは無縁で、
好きなカフェで本を読みながら働く
そんな生活が手に入りました。
もともと事務OLをしていた私は、
こんな風になれると想像すらしていませんでしたし,
起業ができる人は、
ずば抜けた才能や能力がある人だと思っていました。
そんな私が
現在に至るまでの過程を
ざっくりとまとめてみました。
自由な働き方や生き方を模索している人
もっと自分自身を成長させたい人の
参考になれば嬉しいです。
18歳までの価値観は両親に植え付けられたもの
1987年 鳥取で生まれます。
周りは田んぼと畑。
コンビニは遠く、
Uberや宅配はエリア外の田舎で生まれました。
そこで父母、弟、祖父母、
曽祖母と一緒に生活をしていました。
父は地方公務員。
安定をなによりも重んじていて、
「貯金が大事だ」と口をすっぱく言っていました。
夏休み前になると親戚一同が集まります。
私を含め、子供たちは成績表を見せ合うのが
恒例行事でした。
母を含め女性陣は
子供用の料理やおつまみを作り、お酒を注ぎます。
私は幼いながら母の姿を見て
女性は男性をサポートする影の存在なのだと
感じていました。
親戚のおじさんは製薬会社で働いていました。
そして会社で出世をして
お給料が上がっていた話を聞かせてくれました。
そのおかげで
家を建て、車を買い、旅行に行けたと。
父やおじさんからの話によると
会社で出世をすれば稼げるらしい。と分かり、
そのために大学へ行った方がいいなと考えはじめました。
大学へ入学するも堕落した生活の始まり
地方の公立大学へ進学が決まりました。
私は初めての1人暮らしが嬉しくて、
授業そっちのけで
アルバイトと遊びに没頭するようになります。
友達が就職活動を始めても
私は変わらずフラフラしていました。
完全に落ちこぼれでした。
真面目に学んで就職活動をしていた友達は
すぐに内定を勝ち取っていました。
友達は会社に就職するという目的を持っていたので
その目標に向かって行動し
内定することができました。
かたや私は目的意識もなかったので
卒業間近にあわてて
なんとなく内定した会社に就職しました。
目的もなく
なんとなく行動すると
なんとなくの結果になること身をもって体感したのです。
入社したのはブラック企業だった
憧れの東京へ進出。
夢の新宿勤務です。
それだけでキャリアウーマンになれた気がしました。
しかし入社したのはブラック企業。
不動産の営業で、朝9時から23時まで働きました。
成績が上がらない月は休みはゼロ。
30日連勤は当たり前です。
慢性的に寝不足で
お昼はいつもコンビニ弁当。
お弁当を早く食べれば食べるほど、
褒められる風潮のある会社でした。
お昼休憩は10分で終了です。
社会人はこんなものだと思っていたし、
出世すると給料が上がるはずだから
頑張ろうと自分に声をかけていました。
しかし営業成績が全てである厳しい世界。
いつもおどおどして、自信もなく
いつまでも成績が上がらない私に
社長もイライラしたんでしょう。
「今すぐここで坊主にしろ!」
と怒鳴られたこともありました。
たまに物件が売れ成績があがると安心し
「今月はなんとか大丈夫だった・・・」
と、ホッと胸を撫で下ろす。
しかし翌月になると
またゼロからのスタートです。
体力的にも精神的にもキツかったので
同期の女の子は全員辞めていきました。
あれ、おかしい。
大学卒業して、会社に入った。
歩合でお給料が上がる仕事に就いた。
でも全く幸せではありませんでした・・・
会社員ってこんなに苦しみながら
働いているの?
この生活が40年も続くの?
時間もなく、精神的にも限界で
休みは寝ているだけ。
どこに幸せがあるの?
入社1年目にして
人生に絶望していました。
なぜなら
私は気付いてしまったのです。
この生活を続けていても、幸せになれない。
でも、この先何をしていいか
どうしていいかもわからない。
だからご飯を食べるために
これからも会社へ出勤するしかない、、、と。
そう思いながら
ボロボロの体を引きずり
会社へ向かいました。
ゴールのないマラソンのような専業主婦生活
会社を辞めるきっかけになったのは、結婚でした。
いわゆる寿退社というやつですが、
実際はそんな甘いものではありませんでした。
専業主婦でいることは、
ゴールのないマラソンを走ることに似ています。
やってもやっても家事に終わりはありません。
明日になればリセットされて
また1から洗濯、掃除、ご飯作り。
これが365日続くわけです。
誰からも評価されることも
認められることもなく
孤独に家事をこなしていく。
でも
夫に養ってもらっていたので文句は言えませんでした。
「夫は会社というもっと厳しい世界にいるんだ。
私が我慢すればいい。」
誰かに依存して生きると
人生の選択肢が狭くなります。
何をするにも夫の許可を取り
〇〇さんの奥さんと呼ばれ、
私は誰の人生を生きているんだろう?
という思いが強くなっていきました。
癌が発覚し人生の強制ストップ
離婚を機に再び会社員に戻りました。
専業主婦の間は貯金なんて
できなかったので
「次こそは自分の力で稼いで
しっかり貯金もしよう!そして自立しよう!」
と誓ったのです。
しかし
月25万円のお給料から
わずかなお金を貯金しようにも
全くたまりませんでした。。。
美容院だって行きたいし本も読みたい。
贅沢は言わないけど、たまには外食だってしたい。
友達に会ってオシャレなカフェでお茶したい。
そんなささやかな自分の望みを
叶えてあげるだけで
わずかなお給料は消えていきました。
しかし、私はそんな自分を責めました。
節約できていないから、
同僚の誘いを断れずランチへ行ったから、
かわいいワンピースを買ってしまったから、
「私のやりくりがダメだから
お金が増えないんだ」
そう思っていました。
そんな中
私は救急車で運ばれます。
癌が発覚しました。
胃癌です。
まさに青天の霹靂した。
すぐに手術をして
胃を全摘出することになりました。
術後は5ヶ月近く入院。
口から食事をとることもできず
シャワーも1人で浴びられず
階段1段すら上がる体力もない。
1人で歩くこともままならず
院内は車椅子移動です。
私は自分の力で何もできませんでした。
自分の力では何もすることができず、
無力に感じました。
そんな自分が恥ずかしくて、惨めで、情けなくて
「私には生きている意味がない」と感じるようになります。
まさに人生どん底でした。
ニート生活でネットビジネスに出会う
なんとか退院し
自宅療養がスタート。
抗がん剤治療の副作用で
肌も爪もどす黒くなっていきました。
こんな自分の姿を誰にも見られたくなくて
家に篭るようになります。
1日14時間Netflixを見る
引きこもり生活がスタートしました。
心配事は絶えません。
これからの仕事はどうする?
貯金を切り崩しお金はどんどん減っている、、
これから人生どうなるんだろう?
不安は増すばかりです。
朝起きた瞬間に
ただ早く夜になることを祈っていました。
だって
寝ている時は不安になることはないから。
唯一、寝ながら夢を見ている間は安心できました。
夢の中なので何にだってなれるし
自由自在。
現実逃避していましたね。
そんな中
SNSのキラキラした世界が目に入りました。
パソコン1台で
好きな仕事をして
時間を自由に使える生き方をする女性たち。
彼女たちは
働き方が生き方のようで
仕事を通して自分を表現しているように見えました。
その上
私のOL時の年収をたった1ヶ月で稼いでいます。
また稼いだお金をさらに自己投資し
自分の成長のためにお金を使っているようでした。
・・・怪しい。怪しすぎる。
でも私は強烈に憧れました。
なぜならば、これまでの私とは
真反対の生活を送っていたからです。
仕事とは
苦しんで絶えながらするものだと思っていました。
お金とは
自分の時間を差し出すことでもらえるものだと思っていました。
そして、お金はなるべく使わずに
コツコツと貯金することが正解だと思っていました。
全く逆の価値観を目の当たりにして
「私もそんなふうになりたい!」と思ったのです。
いきなり200万円の自己投資をした
羨ましい気持ちを
どうしても抑えることができなくて、
私はたまたまSNSで見かけた女性のオンラインスクールに
飛び込んでみました。
費用は200万円。
目ん玉が飛び出るような金額です。
正直、高すぎ!って思いました。
誰がこんな大金払うのって思いました。
だけど・・・
今、決断をしなければ
これからずっとこのままの人生が続くだろうと思ったんです。
自分の人生や社会に不満を持ったまま
ずっと画面の向こうの誰かを羨んで、
何も変わらずに年を取り、そして若い頃と
何も変わらない自分、成長していない自分に
ようやく気づくのです。
・・そんな人生は嫌だと思いました。
これまで
私は何かに挑戦したことがありませんでした。
中学のときは
親友がテニスに没頭している姿を横目に、
何かといいわけして練習に参加せず、試合はいつもボロ負け。
高校のときは
「1年だけ本気になって勉強してごらん」
という担任の言葉を無視して、なんとなく入れそうな大学に進学。
就職活動のときは
卒業ギリギリまでフラフラして
たまたま内定した会社に就職。
逃げるように会社を辞めて
結婚しても離婚して、
私はどう生きたいか?なんて考えもせず
なんとなく生きてきたように思います。
何かに挑戦するとは、
「自分と向き合うこと」だと思います。
とても勇気がいることです。
だからずっとずっと逃げ続けてきました。
誰かに言われるまま
なんとなく生きてきた結果が
今の私なんだと思いました。
今の私とは、
お金もなく、健康もなく、自分に自信もなくて
ただ家にこもってNetflixを見る自分です。
全然魅力的じゃありません。
「もうこんな人生を変えたい!」と思い
起業に挑戦すると決めました。
もう、そこからは必死です。
アメブロを1日3記事書いたり
インスタのリールを毎日アップして
動画に文字入れをして・・・
今の自分にできることは
なんでもすぐに行動してきました。
でも
全く結果は出ません。
まるで暗闇の中を手探りで進む感覚です。
どうしよう、大丈夫かな。
やはり私には無理だったの?
本当に正しい道に進んでる?
大金を払ったのに結果が出ない自分に対して
焦りや不安でいっぱいで
よくお風呂で泣きました。
リリースして初月で50万
何度も諦めそうになりました。
しかしここで諦めると
また、なんとなくの毎日が始まることが決まっています。
お金を払ってビジネスの基礎を学んだ
この経験のおかげで
踏ん張ることができました。
もしビジネス経験のない私が
1から情報収集して学んで行動していたら
もっと時間がかかっていたと思います。
結果として、
オンライン講座をリリースして
初月に50万円の売上を達成しました。
そして
3ヶ月目には売上は170万になりました。
私の伝えたいこと
起業してちょうど2年を迎えました。
ここまで来れたのは、
私に才能やスキルがあったからではありません。
離婚して就職した会社への初出勤日のこと。
今でも覚えています。
私はパソコンの電源ボタンが
どこにあるか分からなかったのです・・・
私より9歳も下の新卒の子に
電源ボタンがどれか教えてもらいましたが
「この人、大丈夫・・・?」
という空気が社内に流れたのを覚えています。
才能やスキル以前の
地点からスタートだったと思います。
だから自分の能力は、
しっかり学んで積み上げていけばいいと思うのです。
このブログでは過去の私のように
自分に自信がなくて
人生にモヤモヤしていたり
生き方を変えたいと思っている人の
力になる発信をしていきます。
多くの人は
ただ知らないだけなのです。
もっと自分らしく生きたい、
自分らしく働きたいと心の底から願いつつも
その方法を知らないだけ。
私も会社で働くこと、貯金することが
一番大事だと思っていましたが
ただ他の世界を知らなかっただけ、なのです。
家族、親戚も会社員ばかりなので
自分でビジネスをするという働き方をしらなっただけでした。
そして自分の可能性に
気が付いていなかっただけでした。
自分の可能性に気付くだけで、
現実が変わり、大きく人生は好転します。
私が身につけた知識、思考法、経験を
教えたことで
2ヶ月で40万、4ヶ月で月収100万を
達成した人もいます。
人生の時間は限られています。
私は癌になり、
自分の人生はいつどうなるかわからないことを
身をもって経験しました。
だから
やりたいことは全部やりたいし
自分の人生に遠慮はしたくないのです。
今、ほんのちょっと勇気を出して
一歩踏み出してみてください。
怖いのは最初の1歩だけです。
その後は行動することでどんどん加速していきます。
あなたの人生を応援しています。
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